創業者 崎山オト

創業者オト明治12年3月10日、嘉昌文の長女として生まれた創業者オトは、首里鳥堀町の崎山起心に23歳で嫁ぎ、長男(起松)・長女(有子)・次女(光子)を儲けた。オトは、病弱であったた病床の夫起心を助け、明治38年(1905年)、実家の家業(オトの実家は現在の㈱比嘉酒造まさひろ)であった造り酒屋を新たに始めた。オトは気丈な性格で、当時としては珍しい自立した考え方と明るさを兼ね備え、子育てをしながら夫を看病した。元々実家のコウジサーとして働いていた技術を活かし、妹の助けを借りて酒屋を切り盛りしたのである。
現在の崎山酒造
オトの夫、起心は明治42年12月35歳の若さでこの世を去り、翌年には姑のウシも亡くなっている。夫の看病、3人の子育て、自らが営み始めた造り酒屋の切り盛りなど、オトの芯の強さは明治女といわれる所以だけでは表せないほどのすごさを持っている。
その後、崎山家は、当初始めた鳥堀の酒屋を妹の屋嘉比家に譲り、舅の崎山起志と相談し、赤田にあった友寄酒造を買い取り、操業を始める。それが、崎山酒造の前身になっている。長男起松を始め、子供たちは酒造りを手伝いながら、祖父起志の厳しい教えを受けながら、立派に育っている。しかし、オトを助け、孫たちを厳しくも温かく育ててくれた舅起志も大正3年1月61歳で亡くなる。
二代目起松は、昭和2年(1927年)22歳で20歳の藤子と結婚。藤子は結婚後すぐにコウジサーとしてオトの教えを受け、その後の二代目起松の波乱万丈の人生を支え続けた。
1934年(昭和9年)、オトは56歳でこの世を去った。この時、二代目起松は若干30歳であった。