酒づくりの伝統を紡ぐ現代

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崎山操(前列左端)、崎山光子と和章(前列左から2番目)崎山起松(前列右端)、小那覇舞天(後列右端)現在では、長男、和章を経営者として、次男の朝啓は営業部長と、三男勝也は造り手として、崎山酒造廠の「のれん」を兄弟で大切に守り続けている。

銘柄なんて無い時代に全てが量り売りで、「崎山のサキ」と呼ばれた時代から「松藤」と呼ばれて70年。オトの思いは激動の20世紀を超え、息子起松と藤子へとつながり「松藤」の名は、支え続けた蔵人と女性たちへの応援歌として、各世代が生涯をかけて守り育て、泡盛に対する深い情熱と伝統の造りは今も脈々と受け継がれている。

「崎山のサキ」から「松藤」へ

崎山酒造廠の代名詞「松藤」は二人の名前を一文字ずつ冠したもので、女性の地位の低かった昭和初期に妻の名の文字を商標に取り入れている。

首里から金武町伊芸と場所を超えて時を超えて造られ続けた泡盛「松藤」。起松は若干30歳で泡盛の振興を強く念願した青年実業家を邁進、市議会議員、石川市長を歴任後、琉球泡盛産業株式会社社長の任に着く。夫の活躍の陰で、妻藤子は、創業者である崎山オトの教えを忠実に守りながら、泡盛を造り、造り酒屋を切り盛りし、4男7女を育て上げる。

当時の起松と藤子の平等な位置関係と二人三脚で酒屋を盛り立てる夫婦の愛情が刻み込まれている。

崎山オトの創業によって、誕生した崎山酒造廠、幾多の厳しい変遷の中で、オトが生涯をかけて造り続けた泡盛への思いと苦労を忘れることなく、受け継いでいきたい。

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