崎山酒造廠(しゅぞうしょう)の創業者は女性で明治12年生まれの比嘉オトである。
オトは23歳で崎山家へ嫁ぎ、3人の子をもうけ、病弱であった夫を助けながら、
実家の家業であった、造り酒屋を始めたのである。
(実家は現在の㈱比嘉酒造まさひろである)
オトは、当時としては珍しい自立した考え方と明るさを兼ね備えた、
面倒見の良いしっかり者であったという。
オトは56歳でこの世を去るまで、蔵で麹に触れていたという、逸話が残されている。
オトの泡盛に対する深い情熱と伝統の造りは今も脈々と受け継がれている。
2代目起松は母の後を継ぎ、藤子と結婚した。
起松は明治の男にありがちな、頑固一徹な男であったが、
夫婦二人の思いを込めて二人の名を冠した「松藤(まつふじ)」という商標を残している。
女性の地位の低かった昭和初期に夫婦の名前を一文字ずつ入れて
商標名にしたのは珍しく、誇らしい。
「松藤」を大切に守り、育てていきたいと思っている。
私は47歳で公務員をやめて泡盛のことも、
会社の経営のこともわからない一からの出発でした。
当時は社員にも随分迷惑をかけたと思う。
ただ義母光子はおおらかな女性で、その支えと教えがあったからこそ、今に至っている。
那覇市首里、金武町伊芸と場所を超えて、時を超えて造られ続けた「泡盛、松藤」。
明治38年、創業者崎山オトによって、誕生した崎山酒造廠は、今年105年目を迎える。
激動の20世紀を乗り切り、陰となり日向になり、
支え続けた女性たちの粒粒辛苦の結晶でもある。
飲んで頂いているお客様への感謝を忘れず、オトが生涯をかけて造り続けた泡盛への思いと
苦労を忘れることなく、しっかり受け継いでいきたいと思っている。